2009年06月26日
木屋(きや)の土蔵について(静岡市指定文化財)
1、建立の経緯
木屋の土蔵は天保8年(1837年)12月に建てはじめ、約1年6月後の
天保10年(1839年)5月に完成した三階建ての文書蔵です。普通、
蔵は米・味噌等を保存するために建てられるものですが、この蔵は
文書を主に保存〔管)するために建てられたものです。
なぜ文書蔵を建てたのかというと、当家が蒲原宿の問屋職をやっ
ていた時宿の記録は問屋場に保管されているだけでした。そこで
万が一火事が起きたとき、問屋場が被害に遭うと今までの蒲原宿
の記録がすべて消失してしまうことに気づき、記録は二部づつ作成
し一部は問屋場に、一部は当家に保管することにしました。そのた
め文書を保管するための文書蔵を建てる必要に迫られたからでした。
2、蔵の特徴
①全国的にも珍しい「四方転」(しほうころび)又は「四方具」と言わ
れる江戸時代の耐震構造で出来ている。(例、鐘楼の形を思い
出してください)
②しかも三階建てであり、非常に珍しい。
③建立年代(1839年)が特定でき、この地域では一番古い建造物
である。
建立15年後に起きた安政の大地震でこの地域の建物はほとんど
が倒壊したり、その後起きた火災により消失し、残ったものはこ
の蔵他ほとんどなくなったといわれている。当家もこの土蔵以外
の母屋及び蔵5棟が倒壊している。
④上記の理由により静岡市指定文化財である。
⑤中にある古文書(木屋文書)は調査途中であるが3002点が静岡
市指定文化財となっている。 続きを読む
木屋の土蔵は天保8年(1837年)12月に建てはじめ、約1年6月後の
天保10年(1839年)5月に完成した三階建ての文書蔵です。普通、
蔵は米・味噌等を保存するために建てられるものですが、この蔵は
文書を主に保存〔管)するために建てられたものです。
なぜ文書蔵を建てたのかというと、当家が蒲原宿の問屋職をやっ
ていた時宿の記録は問屋場に保管されているだけでした。そこで
万が一火事が起きたとき、問屋場が被害に遭うと今までの蒲原宿
の記録がすべて消失してしまうことに気づき、記録は二部づつ作成
し一部は問屋場に、一部は当家に保管することにしました。そのた
め文書を保管するための文書蔵を建てる必要に迫られたからでした。
2、蔵の特徴
①全国的にも珍しい「四方転」(しほうころび)又は「四方具」と言わ
れる江戸時代の耐震構造で出来ている。(例、鐘楼の形を思い
出してください)
②しかも三階建てであり、非常に珍しい。
③建立年代(1839年)が特定でき、この地域では一番古い建造物
である。
建立15年後に起きた安政の大地震でこの地域の建物はほとんど
が倒壊したり、その後起きた火災により消失し、残ったものはこ
の蔵他ほとんどなくなったといわれている。当家もこの土蔵以外
の母屋及び蔵5棟が倒壊している。
④上記の理由により静岡市指定文化財である。
⑤中にある古文書(木屋文書)は調査途中であるが3002点が静岡
市指定文化財となっている。 続きを読む
Posted by 23代 at
15:54
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2009年06月19日
渡邊家について紹介
蒲原ではもっとも古い家のひとつではないかと思います(特に先祖の記録が残っている面からは)。
江戸初期から蒲原宿の要職を代々務め、特に江戸中期以降は韮山の江川太郎左衛門から名主兼問屋職(今で言えば町長~市長クラス)として命じられ、蒲原宿ばかりでなく他宿も再建に取り組んだ。18代目の時は郡中総代(今の市長以上のクラスで凡そ旧蒲原町・富士市・芝川町等を管理)を命じられるなど江戸時代の蒲原宿を知る上ではなくてはならない家。
蒲原町史、静岡県史に紹介されている。ちなみに私は23代目。
農業の他に富士川を使っての材木問屋を業としており、江戸の大火による江戸城再建、鶴岡八幡宮再建等では当家から材木がおさめられた。山梨県旧鰍沢町は「塩の道」の山梨県側入口ですが、ここの塩の元締めは当家の親戚であり塩と材木が富士川を使って行き来していた。そうした交通路上の大きな役割も当家は果たしていた。
文人墨客も当家とは縁が深い。特に丸山応挙につながる人達とは縁があり、富士山を描く時は当家別荘に泊まり描いていったそうです。残念ながらその画はありません。
江戸初期から蒲原宿の要職を代々務め、特に江戸中期以降は韮山の江川太郎左衛門から名主兼問屋職(今で言えば町長~市長クラス)として命じられ、蒲原宿ばかりでなく他宿も再建に取り組んだ。18代目の時は郡中総代(今の市長以上のクラスで凡そ旧蒲原町・富士市・芝川町等を管理)を命じられるなど江戸時代の蒲原宿を知る上ではなくてはならない家。
蒲原町史、静岡県史に紹介されている。ちなみに私は23代目。
農業の他に富士川を使っての材木問屋を業としており、江戸の大火による江戸城再建、鶴岡八幡宮再建等では当家から材木がおさめられた。山梨県旧鰍沢町は「塩の道」の山梨県側入口ですが、ここの塩の元締めは当家の親戚であり塩と材木が富士川を使って行き来していた。そうした交通路上の大きな役割も当家は果たしていた。
文人墨客も当家とは縁が深い。特に丸山応挙につながる人達とは縁があり、富士山を描く時は当家別荘に泊まり描いていったそうです。残念ながらその画はありません。
Posted by 23代 at
15:38
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2009年06月15日
開館日時のお知らせ
開館・見学について
①土曜、日曜、休日の天候が雨等湿気が少ない日
②渡邊家の夫婦どちらかが在宅している時
③時間はおおよそ午前9時ごろから午後3時ごろまで
④見学予約をしていただければなるたけ時間調整します
予約はメールedo-kiya@beige.plala.or.jpへ
後で当方から連絡します
⑤入場料は無料です
⑥住所は静岡市清水区蒲原二丁目2-30
⑦電話番号 054-385-3441
①土曜、日曜、休日の天候が雨等湿気が少ない日
②渡邊家の夫婦どちらかが在宅している時
③時間はおおよそ午前9時ごろから午後3時ごろまで
④見学予約をしていただければなるたけ時間調整します
予約はメールedo-kiya@beige.plala.or.jpへ
後で当方から連絡します
⑤入場料は無料です
⑥住所は静岡市清水区蒲原二丁目2-30
⑦電話番号 054-385-3441
Posted by 23代 at
16:27
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