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23代

2009年08月21日

金璙夫婦の京都旅行2(文政10年、1827年)

先週はお盆休みでとても忙しく、記事を書いている余裕がなく休ま
せて頂きました。それにしても田舎のお盆(特に本家)は家族・親
戚・友人が集まり大変賑やかです。

さて話は一番最初にもどって私たち夫婦が金璙夫婦の京都旅行
を辿って行った妙心寺でのことをお話したいと思います。

妙心寺の塔頭のひとつに海福院があります。ここは観光客もあま
り訪れることもなく静かです。ここが当家のご先祖様がお世話にな
ったお寺です。山門を入るとご住職様が庭の掃除をされていまし
た。なんと声をかけていいかと迷いましたが「すみません。江戸時
代にお世話になった原宿・植松家の親戚で蒲原宿の渡邊といいま
す・・・」と言うと、何とご住職はすぐにお分かりになったようで「その
節はお世話に・・・本堂の方にどうぞ」と案内して下さった。

本当に分かって頂けたのか不安に思いつつもご住職について本堂
に入って話をしました。すると、江戸時代の当家のことを本当にご存
知でした。分かっていらっしゃると思うと(どうして受け継がれている
のかはわかりませんが)とてもありがたいことだと驚きと感動をおぼ
えました。

ご住職より海福院は福島正則の寄進により建造されたもので「福
島正則が使った槍」「丸山応挙の作ったつくばい」「法堂の雲龍図」
を作った狩野探幽がこの寺を宿舎としていた時に酔って落書きをし
た襖」さらには「今ではもう絶えてしまった?茶道(の流派)」が残っ
ているということで見せていただきました。

その後もご住職様と歓談しましたが、ご先祖様もこの寺でこのよう
にしていたのかと思うと何か懐かしさのようなものがこみ上げて来
るのを禁じ得ませんでした。

また、ご住職様にはお忙しい中、突然の訪問にも関わらず大変親
切な応対をしていただき心から感謝いたします。

*原宿の植松家について
   シーボルトが日本一の庭園と賞賛した「帯笑園」で有名な家
   当時の静岡県東部では有数の資産家として有名
   この話の当時の当主植松応令は丸山応挙の弟子
   当渡邊家には植松応令の娘が金璙に嫁いでいます
 










Posted by 23代 at 09:26│Comments(0)
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金璙夫婦の京都旅行2(文政10年、1827年)
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