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23代

2009年07月17日

安政の大地震2

嘉永7年(1854年)
 11月6日
    曇る 刈屋をまた別に作る。
    アラク山、あちこち崩れる。地震4,5回で日暮れになる。
    (註 アラク山は現在の桜名所の御殿山 当家の近く)

 11月7日
    日和 急難につき、宿内の人達に米を分ける。金子も与える。
    今日、地震少なくなる。はじめて本町の焼け跡を見る。帰りに
    東漸寺による。墓石残らず倒れる。
    夜地震5度中程度。

 11月8日
    晴れ 土蔵に雨おおいをかける。夜、地震小2度

 11月9日
    曇る 朝より昼過ぎまで小雨。お代官様とお手代様が見聞。
    浜の田畑は、地割れして7,8丈(約20~25m)も水が沸いて
    大川となる。錆び色の水が沸き、石を噴出す。高浜は地割れが
    ひどく巾5,6尺(約1m50cm~2m)から1丈(約3m)長さ
    数十丈(約150m~200m)、その割れ目に大穴がある。
    水が噴出し松の木までなぎ倒す。田畑はでこぼこになり、その
    中に大きな割れ目あり。八津沢は10~30m地中に沈み平ら
    になる。
    雨堤は裂け目ができ、今にも破裂しそうである。富士川は岩淵
    水神より切れ死人川という。富士川の水はいたって少なく、川
    原は山のような丘になる。
    夜3度ひどくゆれる。
    (註 八津沢、雨堤は旧諏訪町内にあり。特に雨堤は江戸時代
     の桜名所)

 11月10日
    晴れ 暖かい 潰れた土蔵のかたづけをはじめる。
    三階庫が傾いていたので引き起こしを相談する。
    夜、地震小3度。

 11月11日
    晴れ 人足がおおぜい集まる。三階庫の柱は傷み無し。
    夜、地震小3度。

 11月12日
    晴れ 本家かたづけ。昼地震きわめて小さく、夜、地震無し。

 11月13日
    晴れ 手伝い人おおぜい本家かたづけ。地震止む。

 11月27日
    晴れ 大風に付き蔵のかたづけは休む。
    昨日夕方異国船(長さ50間ほど、帆柱3本)この内海に入
    る。
    (註 内海とは駿河湾蒲原・由比付近で昔このあたりを田子
     の浦とよんでいた)
    今朝 磯伝いに五貫島にかかる。アラク山に登って数十人にて
    見る。この異国船は下田港に停泊中、このたびの大地震にあい
    大破しこの内海に漂流してきたとの事。
    (註 この異国船がロシアのディアナ号)

 11月29日
    ロシア船 五貫島(富士市)に停泊。異人約300人この村に仮
   住居。

 12月2日
    三階庫引き起こし、4両にて頼む。
    五貫島村に停泊中のロシア船、異人はこの村に留まり 船は修
    理のため、五貫島から倉沢(由比)までの漁船数百艘にて同村
    を引き出す。
    我ら、アラク山に登り眼下を見る。順風に引き出すが、急に大波
    がおこり、日本船は残らず東西に逃げ帰る。異国船は大波にこ
    らえきれず沈没する。我ら山の上から見る。神風恐るべし。

    地震後はじめて枡形を見に行く。この地震で富士川の地形が一
    変する。川中が亀の背のようになり、流れが8分どうり加島(富士
    市)へ流れ、蒲原へは2分となる。

 12月3日
    昨日ロシア船から積み出してあった荷物が 五貫島の磯辺に6町
    ほどに広げられ 珍器は花のようである。この異人たちは漢字は
    わからず、アメリカ語は少々通じるとのこと。

 12月6日
    五貫島にロシア人を見物に行く。一時460人ほどいたロシア人は
    昨日5日、200人ほどが戸田港へ引き渡された。今年5月に下田
    で見たアメリカ人とあまり変わらない。残りの異人も戸田港へ送ら
    れたとのこと。

  

          今回はここまでとします。

    下田へ画家を連れて黒船を見物に行った時の絵です。

 安政の大地震2









    













    


Posted by 23代 at 08:41│Comments(0)
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